読んで楽しむクラシック

個人的備忘録も兼ねて、より音楽を楽しめるようにな文章を書きたい…そんなブログです。

ブルックナー 交響曲第8番① 4楽章について


Bruckner: Symphony No. 8, Karajan & BPO (1957) ブルックナー 交響曲第8番 カラヤン


上記の演奏がいわば模範演奏と言えるものである。

スコアを確認していただければ1番良いのだが、現状知る限りでは最もスコアの指示に忠実な演奏である。カラヤンという方はたまにこのように実は皆が守っていない楽譜の指示を忠実にやっていたりするのである。あまりこの人を悪くいうものでもないと思う。とはいえ後年の演奏はいわゆる「よくあるテンポ」になってしまうのだが…




個人的こだわって欲しい箇所①

〜16(32)分音符と前打音の吹き分け〜


タ|ター と |タター の違い


…前打音というのは難しいもので、拍と同時に出すか、拍より若干前に出すかで解釈が分かれることが多いのだが、ブルックナーの場合はわざわざ16部音符や32分音符の使い分けを多用するなどかなりリズムにこだわりのある作曲家であり、もし拍の前に音符をはみ出して欲しいのなら32分音符を使うと考えられるからである。上記スコアは4楽章冒頭だが、弦楽器群は前打音、金管楽器のファンファーレは前打音と16分音符の複合であり、本来であればここに作曲家の明確な意図を感じで吹き分けていただきたいもの。


残念ながら適当な演奏が多い。前打音と16分音符や32分音符を同じように演奏していたり、グチャグチャになっていたり、この時点で模範的な演奏としては失格。当然模範的演奏≠名演奏は承知しているが、個人的には作曲家を尊重した上での名演奏をより支持したい。



個人的こだわって欲しい箇所②

〜テンポ〜


上記の4楽章冒頭について、テンポは2分音符=69である。そもそもほぼ全ての演奏がこれを守っていない。ちなみに上にあげた模範演奏カラヤン版ですら2分音符=72程度で誤差の範囲だが若干速い。遅いと映えない、そういった気持ちはわからないでもないが、そのように作曲家指定のテンポをいわば改竄する行為はブルックナーファンが蛇蝎のごとく嫌っているシャルクが師ブルックナーの交響曲に対して行おうとしたことと何が違うのか?どちらもより聴き映えのするように良かれと思って編曲しているということに変わりはない。音楽はある程度自由であるため、多少の改竄が悪いわけではない。しかしながらブルックナーの原典版をやたらと信奉しながら楽譜の細かな箇所を蔑ろにするのはダブルスタンダードではないか?と主張したいところ。明らかにこのことに該当している指揮者は例えばブルックナーの最高権威(に祭り上げられている)の1人、ギュンター・ヴァント。残念ながら。演奏自体は大変な名演奏だが、冒頭テンポは80以上である。


実はブルックナーの8番は全ての楽章(2楽章のトリオ除く)に置いてテンポの変動が非常に少ない曲であり、重要視する点の1つと考えているが、ことに4楽章の冒頭を早めてしまうと4楽章内の他の箇所もテンポに変更を加えないと違和感が生じてきてしまう。この点世間で言われるブルックナーの交響曲は建築物という評に納得がいく。一部の設計が狂うと別の箇所の歯車が狂ってしまうというわけだ。

指揮者考②

前回の続き。というか前回を踏まえて。
我が国が誇るスーパーレジェンド小澤征爾氏はどういった指揮者に該当するのか?


…典型的な職人タイプといえる。彼の指揮から発せられる情報量は指揮者の中でも超一級と言っても過言ではない。奏でられる音楽と指揮姿が完全に合致している、ということはオーケストラが完全に彼の意図を理解できるということだ。結果的に生まれる音楽には好き嫌いがあるのは仕方がないことだが、指揮をする人は彼をお手本にするべきと思う。


細かいことを言うと、彼の指揮は打点が非常にハッキリかつ、8ビートや16ビートなどの細かい拍も腕の動きで表現することが多いため半端でなくわかりやすい。そのため複雑なリズムや拍子を持つ近現代曲に部類の強さを発揮する。世間的な小澤征爾の名盤、となると近現代曲が非常に多かったり、メシアンに自作の良い演者として評価されるのも当然と思う。


近年は流石にお年を召されているために持ち前のスーパー指揮テクニックが発揮できないために、かつてのような演奏が困難になってしまっていることが非常に残念。体が動かなくとも、彼の意図が伝わる気心知れたサイトウキネンオーケストラや水戸室内管弦楽団と最後まで添い遂げてほしいと思う。


小澤氏の師匠であり、歴史上最大の指揮者であるカラヤン氏について。彼も職人タイプと思われるが結構変則的。


まずその指揮ぶりに小澤氏ほどの情報がない。そもそも目をつぶって指揮する時点でオーケストラへの情報量がかなり減っているわけで…その意味では暴君タイプのように感じるが、彼は暴君のようなことをしなくても長い時間をかけて自分色に染め上げたオケ=ベルリンフィルを手に入れることができた。拍子はしっかりとってくれるものの、打点が若干不明瞭なことが多い。フルトヴェングラーやバーンスタインに比べればはるかに分かりやすいが。だがしかし、これは全て音楽的意図によるもの考えられるあたりさすが帝王。只者ではない。


指揮ぶりに情報が少ないのは有名な彼の言葉「ドライブするのではなくキャリーするのだ」から考えると、オーケストラをコントロールするのではなく、方向性を定めてあとは自由にやらせるということからと考えられ、不明瞭な打点に関してもフルトヴェングラーに習った若干低音を先だしさせることで重厚な響きを目指す狙いがあってのもの、そしてあの特徴的な切れ目の全くないレガート、音楽の流れの良さはあの流麗な指揮ぶりあったのものといえる。あまり指揮者に邪魔されたくない、という強烈なプライドを持つトップオケからすればもう最高の人材。


まぁカラヤンとくればこの方。バーンスタイン。愛称レニー。彼の指揮を見たらなんとなく感じると思うが、第一に音楽表現、拍子は二の次。典型的魔術師タイプ。


指揮台でジャンプ、足踏み、唸り声当たり前の縦横無尽に暴れ回る様は多くの信者を生み出し、弟子たちはほとんど皆彼の指揮姿をパクり、いや真似、いや参考にした。相当に分かりづらい指揮のせいでオーケストラは一部除いてアンサンブルの精度が少し低い。しかしながらバーンスタインの生き霊が取り憑いたオーケストラは普通では考えられないような音楽を奏でてしまったりする。側から見たら何が何だか全くわからず、もはやスピリチュアルな領域に突っ込んでいると言える。


とは言っても野生の勘だけで音楽をしているのではなく、凄まじいまでの知識・知性のバックボーンがあってのもの。ハーバード、カーティス音楽院卒。特にウェストサイドストーリーをはじめとする作曲家としての目が冴え、スコアの特異な箇所を見抜き聴取に啓蒙するかの如く穿り出す。これがあるから彼の指揮台ダンスはただの踊りではない。霊媒師でもあり熱血教師でもあるのがこのお方。


古典派やブラームスの指揮ぶりは意外と大人しく真っ当なのはなにか遠慮でもあるのだろうか。

指揮者考①

憧れる人も多い魅惑の職業、指揮者。

我が国では偉大な教育者であった齋藤秀雄氏によって体系化された指揮の基本動作がまとめられた教本が存在する(ポチるならこちら)のだが、簡単に言うと音の出だしを揃えたいなら指揮の振り下ろす打点をハッキリし、滑らかに演奏してほしいときは滑らかに動かす、音量の強弱に比例して指揮の動きにも強弱をつける、現在の箇所が何拍子で、今何拍目か動きで示す、演奏家たちに合図を出す、などなどが具体的な図とともにまとめられていてプロの指揮者はまず確実にそういった技術を身につけているのが当たり前というわけ。


しかしながら…古今東西の指揮者たちは癖なのか音楽的理由なのかはたまた見た目を気にしてか、振り方は十人十色。とはいえ、下記の通りおおよそ3通りに分類可能である。


①一般的な指揮者。ただ拍子を取るだけではなく、棒でどう言った音楽を目指すか示してくれる。


②一般的な指揮よりもより目指す音楽の表現を重視するタイプ。若干打点や拍子が不明瞭なことも。


③最低限の合図や拍子はとるが、指揮で音楽表現をあまり行わないタイプ




①の指揮者が世界で1番多いであろうことは明白。職人タイプといえ。指揮の技術が高くリハーサルも効率的で有能な人物であればオーケストラに1番好かれるだろう。ちなみにある程度しっかり指揮してくれるが、響きや演奏の流れを重視するためにあえて打点を不明確にする指揮者もいる。


②の場合、職人タイプの普通の指揮者のように必ずしもわかりやすい指揮をするわけではないので能力が低ければ間違いなくオケから顰蹙を買うだろうが、素晴らしい演奏が実現できれば職人タイプ以上に畏怖の念を持たれることになる。それは一種の魔術だからであり、カリスマ性を感じさせるからであり、波長がバッチリあった人間には崇拝すらされるだろう。いわば魔術師タイプ。とはいえ、しっかりと触れないわけではないので、指揮者が重要な現代曲などではしっかりビートを刻むことがほとんど。


③のタイプは暴君タイプとでも言えるか。該当する指揮者は、指揮ではあまり語らないため、リハーサルで徹底的に自分の目指す音楽を仕込むために非常に厳しく長いリハーサルを行う人物が多い。本番時にはぶっちゃけ指揮台に立たずとも勝手に思い通りの演奏が可能なレベルに達していると思われるため、演奏会の成功率は極めて高そうだが、ほぼ確実にオケからは嫌われるタイプ。


皆さんが好きな指揮者はどちらに該当するだろうか。